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9. 最後の夏も終わりを告げ
10. 大睦踏切 その後
11. まとめ
私と大睦踏切は、わずか1年と1ヶ月半の付き合いでした。しかし、どう考えても綺麗な写真の撮れない場所故、同業者の姿をここで見かけたことは一度しかありません。換言すれば、それだけ多くの鉄道ファンは意識していないスポットだったということでしょう。 この場所はそれだけ鉄道ファンが足繁く訪れないため、地元の方に物珍しそうに話し掛けられることも多く、その度に私は「長町駅が高架化すれば消えてしまうから」と説明しておりました。しかし、それはあくまで格好付けた言い訳で、私自身、この場所で撮れる気軽な鉄道写真の撮影という趣味業の営みに、どこか気が休まる思いがあったのかもしれません。 元々はED75を撮りたいという思いや、東九番丁踏切の廃止を記録できなかった悔しさも手伝っての、不純な一石三鳥を狙った消え行く踏切の記録のつもりでしたが、その成果より大きな何かが頭に擦っても落ちないほどはっきりと焼きついた気がします。 四半世紀どころか、恐らく10年もしないうちに、ここに線路があって、踏切があった、などということは地元の人も覚えていないほどの変化を遂げると思います。それだけに、その存在はいつまでも覚えておきたい、そう思いを新たにすることにしました。 |