Top > 大睦踏切 最後の夏 > その7

9. 最後の夏も終わりを告げ
大睦踏切横の草叢からは、秋の虫の鳴き声がするようになりました。いよいよ、最後の夏も終わってしまったようです。
あと何回ここに来られるのだろうと思うと、焦りを自覚するようになってしまいました。
そして、スケジュールの都合もあり、また天気予報の都合もあり、私にとって最後の日となった9月15日の訪問のときのことです。
それまでの通い詰めるという行為が報われたのか、原形に近いED75が2両総括運転する3052列車がやって参りました。
そのような偶然は滅多にあるものではありません。初日と最終日、同じ列車に望んだ組み合わせが充当され、しかも最終日は白HゴムのED75-136と、ヒサシ付きのED75-85でしょうか、このような組み合わせとなり、感無量です。

[写真 : 最後にここで撮った一枚となった3052列車]

帰りがけ、長町跨線橋より遠くに見える大睦踏切を眺めてみましたら、丁度下りの251M列車の姿が。焦ってカメラを取り出し、本当の最後の、大睦踏切の鉄道写真を撮ったのでした。

[写真 : 正真正銘の最後の一枚となった251M列車]

10. 大睦踏切 その後
大睦踏切の廃止後、何度か訪れてみました。そのときの写真を紹介したいと思います。
警報機が役目を終えていました 線路はロープで立ち入れないように、そして車止め
鉄路はすぐに錆びる よく見ると、下り線から架線が撤去されています
虚しくも「とまれ」が回っていました 翌週、警報機は撤去されていました
更に月日が流れ、通路の移設の案内が もはやどこに踏切があったのか、という風景です
遠くに見える陸橋も間もなく御役御免 ひょろ長い空地は大睦踏切跡よりも南まで続きます
踏切入口はこのように閉鎖されました アプローチの先に踏切があったとは...

11. まとめ
私と大睦踏切は、わずか1年と1ヶ月半の付き合いでした。しかし、どう考えても綺麗な写真の撮れない場所故、同業者の姿をここで見かけたことは一度しかありません。換言すれば、それだけ多くの鉄道ファンは意識していないスポットだったということでしょう。
この場所はそれだけ鉄道ファンが足繁く訪れないため、地元の方に物珍しそうに話し掛けられることも多く、その度に私は「長町駅が高架化すれば消えてしまうから」と説明しておりました。しかし、それはあくまで格好付けた言い訳で、私自身、この場所で撮れる気軽な鉄道写真の撮影という趣味業の営みに、どこか気が休まる思いがあったのかもしれません。
元々はED75を撮りたいという思いや、東九番丁踏切の廃止を記録できなかった悔しさも手伝っての、不純な一石三鳥を狙った消え行く踏切の記録のつもりでしたが、その成果より大きな何かが頭に擦っても落ちないほどはっきりと焼きついた気がします。
四半世紀どころか、恐らく10年もしないうちに、ここに線路があって、踏切があった、などということは地元の人も覚えていないほどの変化を遂げると思います。それだけに、その存在はいつまでも覚えておきたい、そう思いを新たにすることにしました。


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