Top > 方向幕ノスタルジア > その1

1. 方向幕のハードウエアと技術

いきなり難しいタイトルのような気もしますが、交通博物館などではハードウエアの技術紹介が欠かせないですので、私に説明できる範囲でその技術を紹介したいと思います。

あくまで方向幕です

本格的にこの特集を書き始める前に、まず方向幕とはなんぞや、という確認だけさせて頂きます。
私もついつい無頓着に使ってしまうことがあるのですが、方向幕という以上、を使っていないものは方向幕と呼ぶべきではありません。つまり、LEDディスプレイによる行先表示機は方向幕ではありません。巻取機とペアになるものを方向幕と呼ぶべきです。
ただし一方で、「方向幕の巻取機」という装置について、いちいちこのように呼ぶのも長ったらしくなるだけで煩雑になることは回避できません。それにそもそも、この装置の名称について正確に書こうと思うと、正しくは「巻取機」ではなく「巻取器」だろうだとか、「巻取」ではなく「捲取」と呼称している製造メーカーがあるだとか、結構細々とした議論が芋蔓式に出てきてしまうようです。

そこでここではこうした幕を使っている装置および幕そのものを「方向幕」と呼ぶことにします。時間的余裕ができましたら、この辺りの表現の統一を図りたいと思います。

[写真 : 左がこの特集の主人公の“方向幕”で、右はあくまで“LEDディスプレイ”です]


巻取機を観察したいが...

さて、表紙でも申し上げたとおり、方向幕の巻取機の動作にはたいへん強い魅力を幼少期から感じていました。機械としてどんな構造になっているのだろう、という関心は日に日に方向幕の装置を搭載した車輛が減るごとに強まっていった気がします。
なにしろ方向幕の巻取機を観察したいと思っても、それを観察する機会にはなかなか恵まれませんでした。バスの車内から乗客の目線で見える部分には限界がありますが、かといって車庫を訪問して見られるようなものでもありません。


そんな方向幕の装置をじっくり観察したい、動かしたいという願望が強まったある年の宮城バスまつりの会場にて、ついに念願かなって幕と巻取機を購入することができました。そしてこれが契機となり、よりいっそう方向幕の虜となってしまったのでした。

気になる技術上の工夫

こうして方向幕の装置を入手したことで、無事に家の中にいながらにして観察できるようになったのですが、眺めてみると大きく感心してしまうところが一つありました。それは、動力伝達機構です。
まず巻取機の中で幕を上向きに巻き取るためのモーターと、下向きに巻き取るためのモーターを二つも搭載することは、空間が限られているため困難です。それに、そもそも不合理です。ですので、一つのモーターで動作することが望まれます。これは鉄道車輛用の方向幕でも同様です。
かといって、鉄道車輛の方向幕の巻取機と同じく、上の巻き取り軸と下の巻き取り軸が直結する構造にするのは危険です。何故なら、そもそも方向幕の巻取機の上の軸と下の軸は同じ速度で回転することはありません。これは幕を巻き取っているうちに巻き取ったフィルムによって軸が太くなるためで、バスの方向幕のようにコマ数が多い場合は特に起こりやすいことです。すると、幕が必要以上に引っ張られて破れる危険性が出てきます。

ですので、幕が破れるのを防ごうと思うと、巻き取る側の軸の動きと巻き取られる側の軸の動きが適度に速度を連続的に変化させ、同調する構造にする必要がありますが、こうした機構をメカニカルに作ろうと思うと結構な手間です。

[左写真 : 仙台市交1000系の巻取機。上下の軸がチェーンで直結されているのがわかるかと思います。]

ところが、実際に本物の巻取機を観察してみますと、私が実現可能なのかどうなのかを杞憂していた“仮説の構造”からするととても信じられないほど、故障に強く簡素で合理的な構造となっていました。鉄道用の方向幕巻取機とは異なり、上下の軸はギアやチェーンを介して直結しない構造だったのです。

たとえば上の軸が回るときは、下の軸が方向幕に引っ張られる形で回るという、幕が適度に引っ張られるものの必要以上に引っ張られない仕組みでした。これならば幕が破れる心配はありません。

具体的にその機構について紹介します。
まず、左図の中央下にある動力軸(= モーター)が回ります。これにより動力を伝達するためのギア(中央上)が、動力を伝えるべき軸のギア(左図の場合は右側のギア)と噛み合います。これにより、片一方の軸には動力を伝え、もう片方のギアには動力を伝えないという切り替えができています。

この機構は構成されるギアの数にこそ違いがありますが、どのメーカーの巻取機でも採用されています。また上述の例は後面方向幕の巻取機でしたが、この機構はチェーンを介して駆動する大型の巻取機(側面幕や前面幕)でも採用されています。

[下左写真 : 天地幅の狭いタイプの側面幕巻取機の動力伝達部]
[下右写真 : 通常の大きさの側面幕巻取機の動力伝達部]

動力切り替えの機構はこれだけではなく...

さて、宮城交通の古い車輛の方向幕の点検窓の横には、何やらハンドルを差し込んで回すことができそうな穴がありました。下写真の赤丸で囲んだ部分です。
先に紹介したように、巻き取るための動力を必要なところにだけ伝達する機構がわかると、次に関心が向いたのがこの手回しハンドルとの動力の両立です。どうなっているのだろうということが気になります。

その答えは、やはり実物の巻取機を観察することで確認できました。実は、単にモーターをハンドルで回せるようにしていただけなのです。よくよく観察すると、前項で紹介した通常の大きさの側面幕巻取機にもその構造が映っていますね。

この手回しハンドルに対応した機構はオプション仕様のようで、基本設計は通常のものと同じになるような設計になっている点がすばらしいです。

[下左写真 : ハンドルを接続してみた様子]
[下右写真 : 見た目は華奢でも、このハンドルの有無は結構重要です]

メンテナンス用のスイッチたち

ところでダイヤ改正に合わせた幕の交換作業など、フィルム幕を交換することは度々ありました。しかし仮に手回し用のハンドルが付いていたとしても、方向幕のフィルム幕を巻き取るのはなかなか大変です。側面幕の場合は天地方向で40cmもあるのですから、それが100コマ分もあると思えばその長さは実に40m。一回点で5cm程度しか巻き取れない手回しハンドルで巻き取るのは、気が遠くなります。
また、通常の運行時でも制御方式によっては99コマ目までしか連動制御できない場合がありました。そのため、100コマ目を超える場合は点検蓋を開いて、乗務員が手作業で幕を巻き取る必要がある...という場合もありました。
そこで、せめてモーターぐらいは電動で動くようにしておいた方が都合が良いということで、巻取機本体に簡易操作スイッチが備わっています。最低限の機能で十分ですので、所定の位置で停止するようなハイテクな動作はできませんが、巻き取りに関する動作を制御するスイッチや、向きの正転/逆転の切り替えスイッチが備わっているなど、この辺りはメーカーによってさまざまでした。

[左写真 : 東洋ライト工業製“DH3型電動方向幕捲取器”に搭載された操作スイッチ]
[右写真 : 三陽電機製作所製“KDC-500型電動方向幕巻取器制御器”に設置された操作スイッチ]

さて、次章では更にマニアックな方向幕巻取機の話題に触れたいと思います。本章では機械的な部分に触れましたが、次章ではそれが正常に動作するように制御するという観点で方向幕を解剖します。

[ Back | Menu | Next ]