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廃止後の軌道は

はじめに

1976年(S51年)に廃止となった仙台市電。その後、1987年(S62年)の地下鉄南北線開業まで、仙台市街を通り抜ける軌道系交通は何一つありませんでした。
一方、すっかり仙台の交通の王者として君臨していたのが自動車交通。モータリゼーションの進行は相変わらず勢いが劣ることなく進み、市電廃止後アスファルトの下に埋められていたレールたちがひょっこり頭を出すほど、道路は磨り減り始めていました。
その嘗て仙台に市電が走っていたという名残が社会問題に発展し、撤去工事が行われるようになりました。ここで紹介する写真は、いずれも高橋敏昭氏に提供して頂いたもので、1985年(S60年)に行われたレール撤去工事の光景です。現在の西公園通にある大学病院前停留所と交通局大学病院前停留所の間の工事の様子を、簡単な説明と共に紹介して参ります。

1. レール切断作業 その1

レールを剥がす前に、まずレールは2〜3m程度の長さに細かく切断していきます。写真中央では、オレンジ色に輝くバーナーの炎が確認できます。
因みに、写真左隅には仙台市電の1系統、2系統の後継ぎとなった“グリーンバス”の姿が見られます。

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2. レール切断作業 その2

物凄い煙と共に作業員の方はレール切断作業に奮闘しています。数メートル単位にレールを切断して撤去するのですから、かなり気の遠くなる話です。

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3. 切断されたレール

切断されたレールです。同時にパワーショベルやつるはしなどの工具で、軌道間のアスファルトも撤去していることが分かります。

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4. レールを剥がす瞬間 その1

このように重機を使って剥がすため、レールが短く切断されていたのでした。地面から剥した後は人力でトラックへ載せていたのでしょうか。

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5. レールを剥がす瞬間 その2

こちらはやや長めのレールを剥そうとしています。巻尺で長さを測りながら切断したわけではないため、このような長さのばらつきが生じることは当然のことです。
写真には二台の重機が写っていますが、片方は四輪の、片方はキャタピラ式のものを動員しています。現場の地盤等の都合から関係があるのか、ちょっと興味深いところです。

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6. 工事現場全景

アスファルトが剥がされていた区間は殆ど撤去工事が終わってしまいました。嘗ては仙台市電の系統の上でメインストリートだったこの線路も、撤去工事であっという間に姿を消してしまいました。

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まとめ

仙台市電のレール撤去工事は、紹介しましたようにその嘗ての役目からすれば余りに呆気ないほどの工事で姿を消してしまいました。
現在は殆どの軌道跡が撤去されたと聞きますが、比較的最近まで交通局の木町通車庫南側にはレールが地面から顔を覗かせていました。このように、意外な場所には今もなお眠っているレールが何本かあるでしょう。そのレールの上を再び列車が走ることはありませんが、安全上問題のない箇所ぐらいは、仙台の鉄道交通の遺構として、きちんと保存整備して欲しいと思うのは私だけでしょうか。

最後になりますが、このような企画に先立って写真を提供して頂いた高橋敏昭氏に、厚く御礼を申し上げたいと思います。

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