Top > 私営 仙台陸上交通資料館と仙台の陸上交通の10年

はじめに

2002年 9月25日水曜日。
秋の虫が盛大に鳴く22時30分頃に、個人ウェブサイト「私営 仙台陸上交通資料館」は突然開館しました。

ウェブサイトを持ってみたいという欲は、思い返せば更に遡ること5年前の1997年頃からあったのですが、何事も三日坊主の性分なものですから、二の足を踏んでいるうちに21世紀に突入していました。
そして、ほぼ衝動的に、特に深いことも考えずにウェブサイトの名前を決めて開館したのが、自分の誕生日でもなんでもない、ある晩夏の9月25日の夜のことでした。

お恥ずかしながら、衝動に任せて開設してしまったウェブサイトが、このウェブサイトです。

それから10年。
まさかのべ50万もの人にご覧いただくウェブサイトを構築する日が来ようとはと、当時のことを振り返ると信じられないものがあります。あの頃の心構えでは、とっくに飽きてウェブサイトを閉鎖していてもおかしくないのに、よくここまで続いたものだと、我ながら感心してしまいます。

さて、そんなこのウェブサイトは“同時進行型アーカイブ”を意識した設計です。よって、この10年間を振り返ると、ウェブサイトそのものの歴史も然る事ながら、仙台の陸上交通の10年間を振り返ることができます。
たとえば仙台市交通局の泉パークタウン出張所はなくなりましたし、仙台市地下鉄も間もなく冷房率100%になります。宮城交通の路線バスも、プロパーのリーフサス車は絶滅しましたし、JR線の線路上から鋼製車体の車輛が全滅するとは...。仙台地区の陸上交通のこの10年間にあった変容は、枚挙に遑がないというのが正直な印象です。

だからこそ、今回のような企画を考えました。この「私営 仙台陸上交通資料館」というウェブサイトが、どんな時代を見つめ続けてきたのか。このアクセス50万件と10周年が重なった今こそ、改めて振り返ってみようと思います。

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月日できごと
9月25日【資料館】個人ウェブサイト「私営 仙台陸上交通資料館」開館
10月 5日【富士交通】仙台〜福島線、仙台〜福島競馬場線、仙台〜郡山線を開設
10月 6日【仙台市交】宮城交通への路線譲渡に伴い、仙台市交通局泉パークタウン出張所を廃止
10月 7日【宮城交通】宮城交通泉営業所(二代目)が開所
【宮城交通】泉営業所開所に伴い、同社初となるノンステップバスを配置
11月 5日【JR東日本】仙石線の205系3100番台が運用開始
11月17日【資料館】「地下鉄南北線 小旅行」を公開開始
12月 1日【JR東日本】東北新幹線が八戸延伸開業、「はやて」新設
【JR東日本】快速仙台シティラビットが3往復に増発、停車駅も追加


バス事業

2002年(平成14年)は、バス事業にとって大きな変化のあった一年でした。
代表的なのは道路運送法の改正に伴う乗合バス事業の新規参入で、仙台〜福島間と仙台〜郡山間における富士交通の新規参入は、今も道路運送法の法制研究においては欠かすことのできない歴史的事件でした。
車輛については、宮城交通の泉営業所開設と同時に、同社初のノンステップバスが営業運行を開始しました。仙台市交通局からフィルム式方向幕が姿を消し始めたのも、この2002年のことでした。2002年度は川内営業所、白沢出張所、霞の目営業所、岡田出張所、長町営業所の所属車輛がLEDディスプレイに換装されました。

鉄道事業

成立の経緯ゆえ、全国的にもガラパゴス路線として有名な仙石線において、車輛の代替が進んだのがこの2002年でした。しかし導入車輛は山手線や埼京線といった首都圏からの転入車ばかり。改造の仕様の違いなどからも、引き続き仙石線は車輛が興味深い路線であり続けることとなりました。
また、東北新幹線に「はやて」が走り始めたのも、東北新幹線が八戸まで延伸された2002年12月1日ダイヤ改正のことでした。それまでは「やまびこ・こまち」の併結運転だったことも、今となっては違和を感じる昔話となりました。

開館当時のトップページは、このようなデザインでした。 全国的に有名な、乗合バスとしての高速バス間の競争の激化は、この富士交通の参入から始まりました。 仙台市交通局の泉パークタウン出張所の所属車には、このようなステッカーが貼られていました。
元仙台市交通局の青窓車が宮城交通の小田原車庫に入庫する光景が、現実のものとなりました。 宮城交通初のノンステップバスは、2台ともメーカーのサンプルカーでした。当時の仙台圏では、三菱ふそうの路線車といえばサンプルカーぐらいしかありませんでした。 仙石線に、また仙石線らしい異端車が導入されました。
「八戸」のみならず、3色LEDの表示が懐かしい、東京駅23番線の発車案内。今では「Maxやまびこ」さえ過去のものとなりました。 短期間でLEDディスプレイ化の進んだ仙台市交通局の路線バスでも、約1年間に渡って同型・同年式車で仕様の異なる状況が続きました。

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月日できごと
1月 1日【資料館】トップページをリメイク
1月14日【宮城交通】七ヶ浜車庫、開設
4月 1日【宮城交通】秋保エアポートシャトルが運行開始
4月14日【宮城交通】仙台南営業所、開設
4月26日【宮城交通】高速仙台・釜石線、運行開始
5月 1日【資料館】「徹底調査 仙台市交通局自動車部の車輛たち」を公開開始
6月 9日【仙台市交】地下鉄東西線鉄道事業許可を申請
7月 3日【JR東日本】原型復旧された583系の展示会を仙台駅で開催
7月 5日【宮城交通】本社を北仙台から泉ヶ丘に移転
7月15日【宮城交通】北根駐車場、開設
8月 4日【宮城交通】特急仙台空港・鳴子線運行開始
8月 7日【資料館】トップページをリメイク
9月18日【仙台市交】地下鉄東西線の鉄道事業が許可される
10月26日【JR東日本】仙台地区でのSuicaサービス開始
11月 1日【岩手急行バス】一ノ関〜仙台線で乗合事業に再参入、以降東日本急行との共同運行へ
11月15日【資料館】「地下鉄南北線の駅設備」を公開開始
12月28日【桜交通】仙台〜福島線、仙台〜郡山線で富士交通と共同運行という形で乗合事業に参入


バス事業

この年は宮城交通に激変のあった一年でした。
まず仙台市の都心にあったターミナルである北仙台ターミナルが廃止、本社もそれに先立って泉ヶ丘へ移転しました。長町南にあった車庫機能も、名取市内に移転、仙台南営業所が開設されました。バス事業が斜陽産業であることの現われのような本社移転劇は、当時はたいへん衝撃的な話題であったと記憶しています。
仙台市交通局の車輛たちも、この年度内に小型車と特急仙台空港線専用車を除き、一般路線運用に充てる車すべてのLEDディスプレイ換装が完了しました。

鉄道事業

最も大きな動きは、JR東日本のSuica対応です。首都圏以外では初めてのSuica対応となりました。
車輛については仙台電車区に583系が配属されたことが大きな話題でしょう。2003年6月に郡山工場を出場し、仙台電車区の一員となりました。

トップページのデザインに迷走していた時期でした。このデザインも短命に終わっています。 需要はいかほど...と案じた秋保エアポートシャトルは、このような車輛が使われていたようです。 仙台南営業所開所当時は、大幅な運用改正には至らなかったようで、秋保温泉にも仙台南営業所の車輛が乗り入れていました。
この車は、元々は釜石線のために配属された車輛でした。予約便に平ボディ車を導入したのが、またなんとも...。 「仙セン」標記の583系が登場したのが、この頃のことでした。7月3日には仙台駅1番線で「往年の名ランナー『583系リニュアル車』車輛展示会」(原文ママ)が開催されました。 北仙台ターミナルは、既にこの時点で仙台市の都心に近いところにある、同社唯一のバスターミナルでした。
北仙台から延伸され、北根三丁目行きのバスが登場したのがこのときです。 ある意味で商売敵でもある仙台市交通局の路線バスに、Suicaのラッピングバスが3台登場しました。東北本線、仙山線、仙石線と並走する区間でも走っていました。 そして、またウェブサイトのデザインが改まりました。色調が青緑に近付いたのは、この頃です。
最初に見たときにはびっくりしました。この後も、岩手急行バスの高速車は東日本急行と同じカラーとなったのでした。 元々は福島県南端の白河市内のバス事業者であった桜交通。しかし高速バスの参入に伴い、仙台に当たり前に顔を出すようになりました。

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月日できごと
1月17日【宮城交通】高速仙台・群馬線運行開始
2月 7日【富士交通】仙台〜山形線を開設
3月16日【JR東日本】仙石線苦竹〜福田町間に小鶴新田駅が開業
3月19日【宮城交通】高速仙台・大阪線で二階建てバスが運行開始
【桜交通】仙台〜白河線を運行開始
3月28日【宮城交通】急行仙台〜古川線、吉岡案内所、南富谷サニータウン、向陽台団地発快速仙台駅行きが廃止
3月29日【仙台市交】2路線6系統を宮城交通に路線移譲
4月 1日【その他】仙台市の都心における「100円パッ区」が本格実施
【JRバス東北】「ドリーム政宗号」運行開始
5月 1日【東日本急行】仙台〜迫線運行開始
5月10日【愛子観光】仙台駅前〜錦ヶ丘八丁目間で乗合事業開始
5月10日【資料館】「愛子観光バスの路線バスたち」を公開開始
10月 9日【仙台市交】“るーぷる仙台特別号”を運行開始、11月15日まで
10月16日【JR東日本】仙山線と仙石線の快速列車の愛称(「快速仙山」「快速うみかぜ」など)廃止
11月 1日【資料館】「“るーぷる仙台 特別号”その軌跡」を公開開始
11月 9日【富士交通】仙台〜山形線から撤退
12月 1日【仙台市交】地下鉄泉中央駅北口が供用開始、この時点では北1出口までを供用開始


バス事業

バス事業最大の話題は、愛子観光バスの乗合事業参入です。
それまでは冠婚葬祭に関連する輸送という、やや偏った仕事を請け負う貸切事業者の印象が強かった同社が、貸切バスと対極的な黄色い塗装のバスで走り始めたのが、2004年の大型連休明けのことでした。
“るーぷる仙台”のポテンシャルを開拓し始めたのも、この頃の特徴です。今では当たり前となった三居沢水力発電所、大崎八幡宮を回るルートに加え、当時は北山五山も回るルートの試験運行が行われました。

鉄道事業

仙石線の動きが止まりません。小鶴新田駅が開業したのは、205系が仙石線の顔として定着した2004年の春のことでした。
また、それまで長年親しまれてきた「快速仙山」と「快速うみかぜ」の愛称が廃止になったのが、この2004年秋のこと。以降、車内放送でも駅の放送でも、「快速列車」という味気ない表現で統一されてしまいました。
仙台市交通局も、ついに冷房化の時代を迎えました。1000系にリニューアル工事を施し、VVVFインバータ制御に制御方式を改め、冷房装置を取り付け、1000N系として再デビューを果たしました。

仙台市内では東照宮駅以来、宮城県内でも国府多賀城駅以来の開業となった、小鶴新田駅。今は開業当初の5倍近い乗降客数になりました。 字光式ナンバープレートを付けて、宮城交通のシンボル的存在になった時期もありましたが、早くも2010年に引退しました。 仙台〜古川間の所要時間は約1時間20分。全経路一般道経由でしたが、意外と俊足でした。
「快速」と明記された方向幕を掲げて走っていたのは、南富谷サニータウン発の便に充てられる古川営業所の車輛だけでした。 宮城交通への路線譲渡までのわずか2ヶ月程度で見納めとなった、LED表示による「上杉経由」の仙台駅行きでした。 開業初日はこのとおりの雨模様。当初は仙台市交通局から中古購入した車輛が用いられていました。
“るーぷる仙台”が愛宕上杉通りを走ったのは、これが最初で最後。既に仙台市交通局の一般路線もないこの通りを走ったことは、非常に大きな意義があったと思います。 この迫町線用には2台の新車が導入され、運用開始と同時に窓にレタリングが施されていました。 「快速うみかぜ」も「快速仙山」も、同じ日に姿を消しました。
短命に終わった富士交通の仙台〜山形線。僅か9ヶ月だけの運行でした。 泉中央駅の北口に出口ができたのは、ちょうどこの頃のことでした。イズミティ21や泉区役所へのアクセスが向上しました。

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月日できごと
3月 1日【東日本急行】仙台〜一迫線運行開始
3月 1日【日本中央バス】ミリオンライナー(東京・さいたま〜仙台の夜行便)運行開始
4月 1日【仙台市交】「フルキャストスタジアム宮城」シャトルバスを運行開始
【資料館】「文書保管室」を公開開始
【資料館】トップページをリメイク
4月15日【JRバス東北】「ドリームササニシキ号」運行開始
4月21日【宮城交通】高速仙台・群馬線から撤退、以降日本中央バスの単独運行へ
6月19日【桜交通】仙台〜白河線の運行を休止
7月 1日【宮交登米バス】高速仙台佐沼線運行開始
【宮交大崎バス】特急仙台古川線運行開始
8月11日【宮城交通】高速仙台さいたま線(日本中央バスのミリオンライナーの昼行便)運行開始
8月22日【日野自動車】セレガをフルモデルチェンジ
8月30日【仙台市交】自動車部、グリーン経営の認証取得
9月16日【JRバス東北】「ドリーム横浜・仙台号」運行開始
10月 1日【宮城交通】山形営業所で乗合事業を開始
10月12日【富士交通】仙台〜福島線、仙台〜郡山線から撤退
11月16日【東日本急行】県庁市役所前(仙台)〜とよま総合支所線運行開始
12月 1日【宮交仙南バス】特急仙台蔵王線運行開始
12月10日【JR東日本】「Maxやまびこ」の仙台以北での定期運用が終了
12月17日【資料館】「停留所資料集」を公開開始


バス事業

県内高速バスの路線が充実していったのが、2004年から2005年にかけてのこと。現在では当たり前である高速仙台佐沼線が開業したのも、この年のことでした。
また、貸切車からの転用車や全国各地から中古車を揃えて運行されていた特急仙台山形線に、「新車」が導入されました。併せて宮城交通の新高速バスカラーが登場し、これは高速バスの変革期を象徴する出来事となったのでした。

鉄道事業

E1系の運用開始当時から続いていた「Maxやまびこ」の、仙台以北での運用が終了しました。
また、仙台市交通局の1000系は着実に1000N系にリニューアルされていきます。昼間の運用は早速半数近くが冷房車となりました。

県内高速バスの路線新設が勢いづいたのは、この頃です。迫に次いで一迫にも東日本急行が乗り入れました。 「フルキャストスタジアム宮城」シャトルバスの運行開始当初は、富士交通も運行していました。 またトップページが改まりました。これまでで最も長い期間に渡り、このトップページが表を飾りました。
八乙女には顔を出しても、泉中央には顔を出したことがないJRバス東北。夜行高速バスという形で、泉中央駅のバスプールに初乗り入れとなりました。 同日開業の仙台佐沼線と仙台古川線。共にかつては急行バスが運行されていた区間ですが、東北自動車道経由で生まれ変わりました。古川線は寄せ集めで車輛を賄いましたが、佐沼線は再登録車にも助けられていました。
宮城交通の高速バスに新カラーが登場したのは、2005年のことでした。今や同社の高速バスといえば緑色のイメージです。 高速バスの参入ラッシュは、全国規模のものでした。群馬県の日本中央バスの独特の塗装の車輛が、杜の都仙台の昼の顔になったのもこの頃です。 宮城交通山形営業所が特急仙台山形線を受け持つようになったのは、意外にも最近である2005年10月からでした。
相次いで路線を新設していた東日本急行には、4台の新型セレガがモデルチェンジをした05年中に導入されました。 東日本急行の路線開設の勢いは衰えません。遂に県東部のエリアにも路線を開設しました。 相次ぐ高速バス路線の新設で車輛が不足したのでしょうか。特急仙台村田線が生まれ変わった仙台蔵王町線の開業当初は、こんな車輛も運用に充てられていました。

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月日できごと
1月 1日【資料館】「仙台に地下鉄がやってきた 〜 東北初の地下鉄車輛はこうして現れた 〜」を公開開始
1月23日【帝産富士交通】帝産観光バス仙台と富士交通が合併、帝産富士交通の成立
3月 1日【宮城交通】仙台北営業所を開設
4月 1日【仙台市交】【宮城交通】バスロケーションシステム「どこバス仙台」運用開始
【仙台市交】白沢出張所の運行業務等をジェイアールバス東北に委託
【仙台市交】系統番号の全面改正
【宮城交通】特急仙台上山線運行開始
【宮交登米バス】登米市役所前〜新田サンクチュアリーセンター間廃止
4月16日【宮城交通】高速仙台さいたま線から撤退、以降日本中央バスの単独運行へ
7月22日【宮城交通】泉営業所野村車庫を開設
8月 1日【資料館】「つれづれ管理誌」を公開開始
9月18日【JR東日本】東北本線長町駅周辺が高架化
10月 1日【宮交気仙沼バス】特急南三陸仙台線運行開始
【宮交大崎バス】特急仙台加美線運行開始
10月 8日【資料館】「大睦踏切 最後の夏」を公開開始
11月 1日【資料館】「せんだい記念乗車券図録」を公開開始


バス事業

仙台市交通局と宮城交通で合同で導入した「どこバス仙台」が、この年では最大の動きとなりましょう。今となってはバスがどこまで接近したのか、という情報を知らずに乗っていた頃が信じられません。
また、泉中央駅からの郊外輸送を行なう上で重要なベースキャンプだった泉中央車庫と、仙台地区の輸送力補完の役割を担っていた利府車庫の一部機能が、東日本急行本社のすぐ北隣に移転し、正式に「泉営業所野村車庫」として業務を開始しました。これも宮交グループの郊外移転の事例のひとつといえます。

鉄道事業

最大のできごとは、東北本線長町駅の高架化です。かつては機関区のあった長町駅も、この高架化と共にただの副都心にある中間駅となった印象が拭えません。
また、仙台空港アクセス線用のE721系P501編成による試運転が始まり、いよいよ455系、417系、717系の3形式置き換えが現実味を帯びてきました。

帝産富士交通には富士交通の車輛も引き継がれました。結果、あらゆる車体に帝産カラーが施されることで、全国的にも興味深い事業者となりました。 仙台貸切営業所と名取営業所の近距離高速バスの部門が統合された仙台北営業所。当然、亀の甲カラーのエアロバスにも「北」のステッカーが貼付されました。 2000年に仙台〜古川間から撤退して以来、久しぶりに“訓練車”としてJRバス東北の路線車が仙台市内を走ることになりました。
稼動当初は不安定で、この写真のように到着した便の表示がいつまでも残っていることもありましたが、バスロケの導入は画期的なことでした。 仙台市交通局の系統番号は、全面改正と同時に、これまで表示されなかった側面と後面にも表示され、車内・車外放送でも系統番号が読み上げられるようになりました。 高速バスとしては文字数の多い「新田サンクチュアリー前」の方向幕は、路線新設からわずか1年で見納めとなりました。
E721系が仙台に現れ、試運転が本格化しました。早くも6月には701系との併結試運転が始まりました。 宮城交通の新たな事業所の開設が相次ぎ、泉営業所野村車庫も新設されました。 長町駅の旧駅舎は、立ち食い蕎麦屋やKIOSKが入居していたように、仮にも鉄道の街の駅であり続けていました。
特急南三陸仙台線は、運行当初は他社からの転入車だけで運行していましたが、後に古川営業所からこのような古豪も転入。愛情のこもった方向幕にも注目です。 加美町町内と仙台を結ぶ高速バスは、当初は小野田支所、宮崎支所、やくらいガーデンの3ヶ所を起点とする3系統が運行されていました。

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月日できごと
1月 1日【宮交気仙沼バス】宮城交通を除いたミヤコーグループのバス事業者を吸収し、社名をミヤコーバスに変更
3月17日【仙台市交】特急仙台空港線廃止
3月18日【仙台空港鉄道】名取〜仙台空港間開業
【JR東日本】東北本線南仙台〜長町間に太子堂駅が開業
【JR東日本】仙山線北山〜国見間に東北福祉大前駅が開業
【東日本急行】仙台駅(西口)〜仙台空港線運行開始
【愛子観光】定禅寺通国分町〜仙台空港線、大町西公園(大町二丁目)〜仙台空港線運行開始
4月 1日【資料館】「路線系統情報」を公開開始
4月30日【仙台空港鉄道】山形〜仙台空港間の直通列車が運行(5月4日、5日、9日も運行)
5月26日【仙台市交】地下鉄南北線の運行管理システムを更新
7月 1日【JR東日本】快速「南三陸」が全列車キハ110系化、定期の国鉄世代の気動車の仙台乗り入れ運用が廃止
7月31日【宮城交通】高速バス仙台−長野・松本線を運行開始
8月 1日【資料館】「せんだい運行情報文書図録」を公開開始
8月29日【三菱ふそう】エアロバスからフルモデルチェンジをしたエアロエースを発売
10月 1日【ミヤコーバス】名取営業所が営業開始
【ミヤコーバス】高速仙台大衡線、開業
10月18日【資料館】「北二番丁迂回走行の記録 “そのとき、バスは”」を公開開始


バス事業

年明け早々にあった大きな変化が、ミヤコーグループで郡部の輸送を担っていた各事業者が統合され、ミヤコーバスに改まったこと。「仙台都市圏は宮城交通、それ以外はミヤコーバス」というわかりやすい関係に改まりました。
そして、一息つく暇もなく仙台空港アクセス線が開業することにより、仙台市交通局の特急仙台空港線が廃止、東日本急行と愛子観光バスの2社が空港輸送事業に参入しました。
近距離の高速バスにも名鉄バスの中古車が次々と入り始めたのが、ちょうどこの頃です。亀の甲カラーの高速バスが、県外で珍しい存在となりつつありました。

鉄道事業

最大の出来事は、新路線仙台空港アクセス線が開業したこと。そして、同時にE721系が仙台圏の鉄道輸送の新たな顔として営業運行を開始しました。
また、仙台市交通局でも開業以来変わらなかった運転扱いが大きく変わる、運行管理システムの更新がありました。事実上“駅間1閉塞”という信号扱いと運行形態に改まったのは、この年の出来事です。

これまでの「宮交○○バス」からミヤコーバスに改まった車体標記。最初に見たときには異様な印象があったものです。 仙台市交通局の伝統ある仙台市外を目指す路線も、鉄道輸送には敵いませんでした。車輛の老朽化もあり、あっさりと幕を下ろしました。 急成長中の愛子観光バスは、空港輸送に黄色い専用車を出しました。予備車を除き、すべて新車で揃えた気合の入った路線でしたが...。
東日本急行も専用車輛を用意して、仙台空港へのアクセス事業に参入しました。車は古くても、全便がSHD車で運行されていました。 仙台空港アクセス線専用車として用意されたのが、E721系500番台とSAT721系。異なる事業者の車輛ながら、共通運用のため併結列車も運行されています。 717系などの国鉄型世代も、辛うじて太子堂駅に停車したことがありました。
東北福祉大駅に停車中のE721系という風景は、仙山線の大きな変化を象徴しています。 E721系の運用開始から間もなく実現した、山形と仙台空港を直通する列車の運行。北仙台駅を通過したため、山形行き下り列車が上りホームである2番線を通過しました。 ワンマン路線たる仙台市地下鉄の各駅に突如設置されたレピーターは、列車の運行上大きな役割を持つものとなりました。
石巻か小牛田まで行かねば見られなくなった、このカラーの気動車たち。気動車による普通列車も運行され、仙台都市圏の通勤輸送でも活躍していました。 急行形ながらも通勤輸送の担い手だった455系も、ついに2007年に全面引退となりました。 仙台市のすぐ隣にある名取市内のバス運行を担っていた名取営業所も、この年から全業務がミヤコーバスに移管されました。

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月日できごと
2月29日【愛子観光】仙台空港乗り入れ路線の廃止
4月 1日【仙台市交】岡田出張所の運行業務等を宮城交通に委託
4月 3日【仙台市交】広告付きバス停留所上屋が供用開始
4月25日【富山地方鉄道】高速富山〜仙台線を運行開始
8月 1日【宮城交通】塩釜営業所の業務をミヤコーバスに移管
【東日本急行】仙台駅(東口)〜平泉線運行開始
9月16日【仙台市交】レイニーバスの運行開始
10月16日【宮城交通】村田駐在の業務をミヤコーバスに移管
10月30日【資料館】「杜の都の名鉄バスOBに魅せられて」を公開開始
12月31日【帝産富士交通】事業廃止


バス事業

仙台市交通局と宮城交通の間柄が、名実共にパートナーとなった印象があったのが、岡田出張所の運行管理業務の宮城交通への委託開始でした。また、長野線の開業によっていよいよ“なんでもあり”となってきた高速バスのラインナップに、この年には富山線が加わりました。
車輛に目を向けますと、遂に宮城交通の大型路線車から方向幕が姿を消したのが、この2008年の秋のことでした。仙台市交通局から遅れること、わずかに4年半。この頃から宮城交通の車輛の近代化も、ハイピッチで進んでいきます。

鉄道事業

鉄道事業については大きな動きのない一年でした。しかし、東北の貨物輸送を支えていたED75の東北本線での運用が大幅に減ったのが、この年の3月15日のダイヤ改正でのこと。東北本線らしい光景の一つであった重連運用も、もはやほとんど見られなくなっていました。

愛子観光バスの仙台空港乗り入れ路線は、一年と経つ前に廃止となりました。 当たり前に見られた、陸奥の物流を支えたED75の重連運用も、既に見かけるのが難しいものになってきました。 二つの事業者名が並ぶ、岡田出張所の玄関前は、関係が商売敵から欠かせぬパートナーに変わったことを象徴しています。
もはや都市のステータスシンボルとなっていた広告付き上屋が、やっと仙台にもお目見えしました。 当時、貸切車すらなかなか見かけない富山地方鉄道の高速車が、日常的に仙台に来ることとなりました。 かつては仙台市内での運用が多かった塩釜営業所も、ミヤコーバスの一事業所となりました。
回転中にさまざまな色とさまざまな地名で楽しませてくれた宮城交通の方向幕も、見納めになりました。 仙台の街から、暖色系の塗装にグレイハウンドのエンブレムを掲げた、伝統ある帝産バスが姿を消しました。

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月日できごと
1月24日【宮城交通】全国で初めて夜行高速バスにAEDを設置
3月18日【東日本急行】仙台駅(西口)〜仙台空港線廃止
4月 1日【仙台市交】七北田出張所の運行業務等をジェイアールバス東北に委託
4月24日【宮城交通】高速仙台〜富山線の運行に参入、以降富山地方鉄道との共同運行へ
8月 1日【資料館】「宮城交通の車輛たち」を公開開始
10月 6日【宮城交通】宮交仙台高速バスセンターが移設開業
11月 1日【東北地方の高速バス事業者】東北高速バス共通フリーパス「東北おトクパス!」を発売(〜翌2/25)
11月29日【JR東日本】仙石線多賀城駅上り線が高架化


バス事業

輸送規模の段階で鉄道に対する明らかな優劣関係がありましたが、細々と東日本急行一社が続けていた仙台空港と仙台市の都心を輸送するバス路線は、この年に終止符が打たれました。
また、東北六県の玄関口に相応しいターミナルとして、宮交仙台高速バスセンターが本格開業したのもこの年のことでした。他都市のようにビルの中にバスが入り込む構造を求める声も一部にありましたが、最終的にはバスベイとして2台が縦列駐車できるスペースをセットバックして得た構造となりました。

鉄道事業

仙石線の多賀城駅の高架化が、一段落を迎えました。2007年の東北本線の高架化に続く事例で、仙台圏の鉄道交通の近代化が感じられる出来事でした。
また、その仙石線の高架化工事に伴い復活した103系も、南武線からの転入車によって置き換えられることとなり、30年に渡って仙石線の顔であり続けた103系が仙石線から姿を消しました。

AEDは高速バス乗り場にも当然のように備わりました。 空港連絡バスが廃止に至った経緯は、誰もが想像したとおりのことでした。 後にエスカレータが完成し、ペデストリアンデッキからの行き来も容易になりました。やっと「仙台駅前」と名乗れる場所になった印象があります。
かつては仙石線の顔だった103系のラストランが近付くと、最期を飾るヘッドマークの掲出がありました。 「東北おトクパス!」で乗車できる高速バス路線に充てられる車輛には、タコのイラストのステッカーが貼付されました。 多賀城駅の駅舎の上に近代的な高架橋、20年前の仙石線の雰囲気を思うと信じられない風景です。

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月日できごと
1月10日【宮城交通】仙台〜長野・松本線、運行休止
2月20日【仙台市交】地下鉄南北線全駅で可動式ホーム柵が供用開始
3月19日【宮城交通】全営業所でグリーン経営認証を取得
3月29日【ミヤコーバス】泉アウトレット古川線、運行休止
4月 1日【仙台市交】「学都仙台 市バス(+地下鉄)フリーパス」本格実施
【仙台市交】新寺出張所を開所、同所の運行業務等を宮城交通に委託
【仙台市交】るーぷる仙台の運行経路に大崎八幡宮などを追加し拡大
6月14日【資料館】Twitterアカウント(@pstmPR)を運用開始
10月 1日【宮城交通】一部夜行高速バスで仙台弁による車内放送を開始
【ミヤコーバス】高速仙台川崎線開業


バス事業

仙台市交通局が導入した破格の制度、「学都仙台 市バス(+地下鉄)フリーパス」が本格実施となりました。主に大学生と高校生に「公共交通機関に乗る習慣」を植え付けることを意識した制度ですが、その成果はこれから問われることになるでしょう。
ユニークな取り組みという点では、宮城交通が導入した仙台弁の車内放送も捨てがたい存在で、導入当初は話題になったものでした。

鉄道事業

仙台市地下鉄南北線のすべての駅にホームドアが設置されたことは、大きなニュースです。地下という安全確認の困難な環境でワンマン運転を行う他社局では当たり前に導入していますが、それだけ転落事故が多いということについても、利用客一人一人が考えるべきものがあるのかもしれません。

導入当初は遅延の原因にもなっていましたが、今では欠かせない存在となりました。 既に仙台市交通局でも認証を得ていましたが(〜09年8月まで)、宮城交通もグリーン経営の認証を取得しました。 実に94年の岡田出張所以来の新設事業所です。まさか後にその岡田出張所を事実上吸収することが迫られるとは...。
「残るは川崎ぐらいか」と大衡線開業のときには言われていましたが、まさか本当に開業するとは...。

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月日できごと
1月 3日【資料館】「方向幕ノスタルジア」を公開開始
3月11日【その他】東日本大震災、発生
4月 1日【仙台市交】白沢出張所の運行業務等をジェイアールバス東北に委託(継続)
6月 1日【仙台市交】東仙台営業所の運行業務等を宮城交通に委託、新寺出張所の直営化、事業所編成の再編
9月 1日【宮城交通】仙台市交通局霞の目営業所構内に岡田受託出張所の仮設事業所を設置
11月 1日【ミヤコーバス】高速仙台高清水線運行開始


バス事業

3月に発生した東日本大震災は、多大な影響をもたらしました。仙台市交通局の岡田出張所は津波の襲来により機能喪失、同所の在籍車輛も1台が水没し廃車となりました。路線については沿岸部を目指す路線が壊滅的で、震災から2年が経った今も、閖上、深沼海岸、蒲生といった沿岸部を目指す系統が正常運行できていません。
宮城交通はその点において沿岸部の路線が少なかったことも幸いし、仙台市内では被害がありませんでした。しかしミヤコーバスの沿岸部の事業所の被災が著しく、それに伴う車輛や人員の動きが活発でした。

鉄道事業

東日本大震災で宮城県内のJR線は多くの打撃を受け、沿岸部を走る仙石線は今もなお東西で分断されたまま、また常磐線もその路線名の由来となった常陸国には当面行くことのできない状況が続いています。また、東北新幹線の不通は大きな影響があり、福島と仙台を結ぶリレー快速列車が東北本線に設定されました。
仙台市地下鉄南北線も八乙女駅を中心とした被災があり、全列車が台原駅発着で運行されました。

仙台市交通局岡田出張所は、もはやこの建物での再開が不可能なほどの損傷でした。 震災直後は沿岸部から離れた陸地の路線でも、一部運転ができないケースがありました。 台原発着の臨時ダイヤが組まれ、全列車が台原折り返しとなりました。
全国各地の自治体から職員や物資の支援があり、たとえば京都市は京都市交通局の定期観光バスの最新鋭車が仙台入りを果たしました。 誰もを驚かせたのは、JRバス関東による臨時高速バス。特にJRバステックが運行する便には、東名高速を走るこの車が仙台まで足を伸ばしました。 あの日を境に、タキシードボディは杜の都へ来ることができなくなりました。
「いぬ」のステッカーが貼られたブルーリボンは、実に実沢営業所開所時以来久しぶりのものでした。 まさかの高清水線開業、そしてその路線の専用車は、まさかの新車でした。

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おわりに

「私営 仙台陸上交通資料館」が追いかけてきたのは、「今」ではありません。あくまで「あのとき」です。
よって、最新の情報については常に他のウェブサイト様にお任せするスタンスで、写真など確かに事実を伝えることができるエビデンスが揃うまで、「あのとき」のことを発信することはありませんでした。
この頑固なまでに貫いていたスタンスが裏目に出たように感じたのが、このウェブコンテンツを作る作業中のことでした。「撮っていたはずだけどなぁ...」という写真を探すまでに小一時間、その写真が意味するところを確認するために資料を探すのにも小一時間、それの連続です。

また、人間の記憶力のあやふやさも、このウェブコンテンツを作る作業中に感じました。自信満々で書いた内容について、念のため確かめるべく別の資料を探してみると、「あれ?」と思うこと、あるいは新しい発見があって書いた文章を大幅に書き直したこと。こんなことが多々ありました。

冒頭でも書いたように、アクセス50万件と10周年が重なった今こそ、改めて仙台の陸上交通のこの10年を振り返ってみようじゃないかと作ってみたのがこのウェブコンテンツです。と同時に、このように「ふりかえり」のためにも、また次の10年後に同じようなウェブコンテンツを作る必要があるように感じています。

まだまだこのウェブコンテンツは途中で追記することがあるはずだと思っています。ですが、これをひとまずの一つの区切りにしたいと思います。
末筆ながら、さまざまな形でウェブサイトの構築やこのウェブコンテンツづくりにご協力を頂いた皆様に、感謝の意を表したいと存じます。ありがとうございました。
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