Top > 私営 仙台陸上交通資料館と仙台の陸上交通の10年 |
2002年 9月25日水曜日。 秋の虫が盛大に鳴く22時30分頃に、個人ウェブサイト「私営 仙台陸上交通資料館」は突然開館しました。 ウェブサイトを持ってみたいという欲は、思い返せば更に遡ること5年前の1997年頃からあったのですが、何事も三日坊主の性分なものですから、二の足を踏んでいるうちに21世紀に突入していました。 そして、ほぼ衝動的に、特に深いことも考えずにウェブサイトの名前を決めて開館したのが、自分の誕生日でもなんでもない、ある晩夏の9月25日の夜のことでした。 お恥ずかしながら、衝動に任せて開設してしまったウェブサイトが、このウェブサイトです。 それから10年。 まさかのべ50万もの人にご覧いただくウェブサイトを構築する日が来ようとはと、当時のことを振り返ると信じられないものがあります。あの頃の心構えでは、とっくに飽きてウェブサイトを閉鎖していてもおかしくないのに、よくここまで続いたものだと、我ながら感心してしまいます。 さて、そんなこのウェブサイトは“同時進行型アーカイブ”を意識した設計です。よって、この10年間を振り返ると、ウェブサイトそのものの歴史も然る事ながら、仙台の陸上交通の10年間を振り返ることができます。 たとえば仙台市交通局の泉パークタウン出張所はなくなりましたし、仙台市地下鉄も間もなく冷房率100%になります。宮城交通の路線バスも、プロパーのリーフサス車は絶滅しましたし、JR線の線路上から鋼製車体の車輛が全滅するとは...。仙台地区の陸上交通のこの10年間にあった変容は、枚挙に遑がないというのが正直な印象です。 だからこそ、今回のような企画を考えました。この「私営 仙台陸上交通資料館」というウェブサイトが、どんな時代を見つめ続けてきたのか。このアクセス50万件と10周年が重なった今こそ、改めて振り返ってみようと思います。 |
2002年(平成14年) |
2003年(平成15年) |
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2005年(平成17年) |
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2010年(平成22年) |
2011年(平成23年)
月日 | できごと |
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9月25日 | 【資料館】個人ウェブサイト「私営 仙台陸上交通資料館」開館 |
10月 5日 | 【富士交通】仙台〜福島線、仙台〜福島競馬場線、仙台〜郡山線を開設 |
10月 6日 | 【仙台市交】宮城交通への路線譲渡に伴い、仙台市交通局泉パークタウン出張所を廃止 |
10月 7日 | 【宮城交通】宮城交通泉営業所(二代目)が開所 【宮城交通】泉営業所開所に伴い、同社初となるノンステップバスを配置 |
11月 5日 | 【JR東日本】仙石線の205系3100番台が運用開始 |
11月17日 | 【資料館】「地下鉄南北線 小旅行」を公開開始 |
12月 1日 | 【JR東日本】東北新幹線が八戸延伸開業、「はやて」新設 【JR東日本】快速仙台シティラビットが3往復に増発、停車駅も追加 |
2002年(平成14年)は、バス事業にとって大きな変化のあった一年でした。
代表的なのは道路運送法の改正に伴う乗合バス事業の新規参入で、仙台〜福島間と仙台〜郡山間における富士交通の新規参入は、今も道路運送法の法制研究においては欠かすことのできない歴史的事件でした。
車輛については、宮城交通の泉営業所開設と同時に、同社初のノンステップバスが営業運行を開始しました。仙台市交通局からフィルム式方向幕が姿を消し始めたのも、この2002年のことでした。2002年度は川内営業所、白沢出張所、霞の目営業所、岡田出張所、長町営業所の所属車輛がLEDディスプレイに換装されました。
成立の経緯ゆえ、全国的にもガラパゴス路線として有名な仙石線において、車輛の代替が進んだのがこの2002年でした。しかし導入車輛は山手線や埼京線といった首都圏からの転入車ばかり。改造の仕様の違いなどからも、引き続き仙石線は車輛が興味深い路線であり続けることとなりました。
また、東北新幹線に「はやて」が走り始めたのも、東北新幹線が八戸まで延伸された2002年12月1日ダイヤ改正のことでした。それまでは「やまびこ・こまち」の併結運転だったことも、今となっては違和を感じる昔話となりました。
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月日 | できごと |
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1月 1日 | 【資料館】トップページをリメイク |
1月14日 | 【宮城交通】七ヶ浜車庫、開設 |
4月 1日 | 【宮城交通】秋保エアポートシャトルが運行開始 |
4月14日 | 【宮城交通】仙台南営業所、開設 |
4月26日 | 【宮城交通】高速仙台・釜石線、運行開始 |
5月 1日 | 【資料館】「徹底調査 仙台市交通局自動車部の車輛たち」を公開開始 |
6月 9日 | 【仙台市交】地下鉄東西線鉄道事業許可を申請 |
7月 3日 | 【JR東日本】原型復旧された583系の展示会を仙台駅で開催 |
7月 5日 | 【宮城交通】本社を北仙台から泉ヶ丘に移転 |
7月15日 | 【宮城交通】北根駐車場、開設 |
8月 4日 | 【宮城交通】特急仙台空港・鳴子線運行開始 |
8月 7日 | 【資料館】トップページをリメイク |
9月18日 | 【仙台市交】地下鉄東西線の鉄道事業が許可される |
10月26日 | 【JR東日本】仙台地区でのSuicaサービス開始 |
11月 1日 | 【岩手急行バス】一ノ関〜仙台線で乗合事業に再参入、以降東日本急行との共同運行へ |
11月15日 | 【資料館】「地下鉄南北線の駅設備」を公開開始 |
12月28日 | 【桜交通】仙台〜福島線、仙台〜郡山線で富士交通と共同運行という形で乗合事業に参入 |
この年は宮城交通に激変のあった一年でした。
まず仙台市の都心にあったターミナルである北仙台ターミナルが廃止、本社もそれに先立って泉ヶ丘へ移転しました。長町南にあった車庫機能も、名取市内に移転、仙台南営業所が開設されました。バス事業が斜陽産業であることの現われのような本社移転劇は、当時はたいへん衝撃的な話題であったと記憶しています。
仙台市交通局の車輛たちも、この年度内に小型車と特急仙台空港線専用車を除き、一般路線運用に充てる車すべてのLEDディスプレイ換装が完了しました。
最も大きな動きは、JR東日本のSuica対応です。首都圏以外では初めてのSuica対応となりました。
車輛については仙台電車区に583系が配属されたことが大きな話題でしょう。2003年6月に郡山工場を出場し、仙台電車区の一員となりました。
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月日 | できごと |
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1月17日 | 【宮城交通】高速仙台・群馬線運行開始 |
2月 7日 | 【富士交通】仙台〜山形線を開設 |
3月16日 | 【JR東日本】仙石線苦竹〜福田町間に小鶴新田駅が開業 |
3月19日 | 【宮城交通】高速仙台・大阪線で二階建てバスが運行開始 |
【桜交通】仙台〜白河線を運行開始 | |
3月28日 | 【宮城交通】急行仙台〜古川線、吉岡案内所、南富谷サニータウン、向陽台団地発快速仙台駅行きが廃止 |
3月29日 | 【仙台市交】2路線6系統を宮城交通に路線移譲 |
4月 1日 | 【その他】仙台市の都心における「100円パッ区」が本格実施 |
【JRバス東北】「ドリーム政宗号」運行開始 | |
5月 1日 | 【東日本急行】仙台〜迫線運行開始 |
5月10日 | 【愛子観光】仙台駅前〜錦ヶ丘八丁目間で乗合事業開始 |
5月10日 | 【資料館】「愛子観光バスの路線バスたち」を公開開始 |
10月 9日 | 【仙台市交】“るーぷる仙台特別号”を運行開始、11月15日まで |
10月16日 | 【JR東日本】仙山線と仙石線の快速列車の愛称(「快速仙山」「快速うみかぜ」など)廃止 |
11月 1日 | 【資料館】「“るーぷる仙台 特別号”その軌跡」を公開開始 |
11月 9日 | 【富士交通】仙台〜山形線から撤退 |
12月 1日 | 【仙台市交】地下鉄泉中央駅北口が供用開始、この時点では北1出口までを供用開始 |
バス事業最大の話題は、愛子観光バスの乗合事業参入です。
それまでは冠婚葬祭に関連する輸送という、やや偏った仕事を請け負う貸切事業者の印象が強かった同社が、貸切バスと対極的な黄色い塗装のバスで走り始めたのが、2004年の大型連休明けのことでした。
“るーぷる仙台”のポテンシャルを開拓し始めたのも、この頃の特徴です。今では当たり前となった三居沢水力発電所、大崎八幡宮を回るルートに加え、当時は北山五山も回るルートの試験運行が行われました。
仙石線の動きが止まりません。小鶴新田駅が開業したのは、205系が仙石線の顔として定着した2004年の春のことでした。
また、それまで長年親しまれてきた「快速仙山」と「快速うみかぜ」の愛称が廃止になったのが、この2004年秋のこと。以降、車内放送でも駅の放送でも、「快速列車」という味気ない表現で統一されてしまいました。
仙台市交通局も、ついに冷房化の時代を迎えました。1000系にリニューアル工事を施し、VVVFインバータ制御に制御方式を改め、冷房装置を取り付け、1000N系として再デビューを果たしました。
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月日 | できごと |
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3月 1日 | 【東日本急行】仙台〜一迫線運行開始 |
3月 1日 | 【日本中央バス】ミリオンライナー(東京・さいたま〜仙台の夜行便)運行開始 |
4月 1日 | 【仙台市交】「フルキャストスタジアム宮城」シャトルバスを運行開始 |
【資料館】「文書保管室」を公開開始 | |
【資料館】トップページをリメイク | |
4月15日 | 【JRバス東北】「ドリームササニシキ号」運行開始 |
4月21日 | 【宮城交通】高速仙台・群馬線から撤退、以降日本中央バスの単独運行へ |
6月19日 | 【桜交通】仙台〜白河線の運行を休止 |
7月 1日 | 【宮交登米バス】高速仙台佐沼線運行開始 【宮交大崎バス】特急仙台古川線運行開始 |
8月11日 | 【宮城交通】高速仙台さいたま線(日本中央バスのミリオンライナーの昼行便)運行開始 |
8月22日 | 【日野自動車】セレガをフルモデルチェンジ |
8月30日 | 【仙台市交】自動車部、グリーン経営の認証取得 |
9月16日 | 【JRバス東北】「ドリーム横浜・仙台号」運行開始 |
10月 1日 | 【宮城交通】山形営業所で乗合事業を開始 |
10月12日 | 【富士交通】仙台〜福島線、仙台〜郡山線から撤退 |
11月16日 | 【東日本急行】県庁市役所前(仙台)〜とよま総合支所線運行開始 |
12月 1日 | 【宮交仙南バス】特急仙台蔵王線運行開始 |
12月10日 | 【JR東日本】「Maxやまびこ」の仙台以北での定期運用が終了 |
12月17日 | 【資料館】「停留所資料集」を公開開始 |
県内高速バスの路線が充実していったのが、2004年から2005年にかけてのこと。現在では当たり前である高速仙台佐沼線が開業したのも、この年のことでした。
また、貸切車からの転用車や全国各地から中古車を揃えて運行されていた特急仙台山形線に、「新車」が導入されました。併せて宮城交通の新高速バスカラーが登場し、これは高速バスの変革期を象徴する出来事となったのでした。
E1系の運用開始当時から続いていた「Maxやまびこ」の、仙台以北での運用が終了しました。
また、仙台市交通局の1000系は着実に1000N系にリニューアルされていきます。昼間の運用は早速半数近くが冷房車となりました。
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月日 | できごと |
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1月 1日 | 【資料館】「仙台に地下鉄がやってきた 〜 東北初の地下鉄車輛はこうして現れた 〜」を公開開始 |
1月23日 | 【帝産富士交通】帝産観光バス仙台と富士交通が合併、帝産富士交通の成立 |
3月 1日 | 【宮城交通】仙台北営業所を開設 |
4月 1日 | 【仙台市交】【宮城交通】バスロケーションシステム「どこバス仙台」運用開始 【仙台市交】白沢出張所の運行業務等をジェイアールバス東北に委託 【仙台市交】系統番号の全面改正 |
【宮城交通】特急仙台上山線運行開始 【宮交登米バス】登米市役所前〜新田サンクチュアリーセンター間廃止 | |
4月16日 | 【宮城交通】高速仙台さいたま線から撤退、以降日本中央バスの単独運行へ |
7月22日 | 【宮城交通】泉営業所野村車庫を開設 |
8月 1日 | 【資料館】「つれづれ管理誌」を公開開始 |
9月18日 | 【JR東日本】東北本線長町駅周辺が高架化 |
10月 1日 | 【宮交気仙沼バス】特急南三陸仙台線運行開始 【宮交大崎バス】特急仙台加美線運行開始 |
10月 8日 | 【資料館】「大睦踏切 最後の夏」を公開開始 |
11月 1日 | 【資料館】「せんだい記念乗車券図録」を公開開始 |
仙台市交通局と宮城交通で合同で導入した「どこバス仙台」が、この年では最大の動きとなりましょう。今となってはバスがどこまで接近したのか、という情報を知らずに乗っていた頃が信じられません。
また、泉中央駅からの郊外輸送を行なう上で重要なベースキャンプだった泉中央車庫と、仙台地区の輸送力補完の役割を担っていた利府車庫の一部機能が、東日本急行本社のすぐ北隣に移転し、正式に「泉営業所野村車庫」として業務を開始しました。これも宮交グループの郊外移転の事例のひとつといえます。
最大のできごとは、東北本線長町駅の高架化です。かつては機関区のあった長町駅も、この高架化と共にただの副都心にある中間駅となった印象が拭えません。
また、仙台空港アクセス線用のE721系P501編成による試運転が始まり、いよいよ455系、417系、717系の3形式置き換えが現実味を帯びてきました。
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月日 | できごと |
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1月 1日 | 【宮交気仙沼バス】宮城交通を除いたミヤコーグループのバス事業者を吸収し、社名をミヤコーバスに変更 |
3月17日 | 【仙台市交】特急仙台空港線廃止 |
3月18日 | 【仙台空港鉄道】名取〜仙台空港間開業 |
【JR東日本】東北本線南仙台〜長町間に太子堂駅が開業 【JR東日本】仙山線北山〜国見間に東北福祉大前駅が開業 | |
【東日本急行】仙台駅(西口)〜仙台空港線運行開始 | |
【愛子観光】定禅寺通国分町〜仙台空港線、大町西公園(大町二丁目)〜仙台空港線運行開始 | |
4月 1日 | 【資料館】「路線系統情報」を公開開始 |
4月30日 | 【仙台空港鉄道】山形〜仙台空港間の直通列車が運行(5月4日、5日、9日も運行) |
5月26日 | 【仙台市交】地下鉄南北線の運行管理システムを更新 |
7月 1日 | 【JR東日本】快速「南三陸」が全列車キハ110系化、定期の国鉄世代の気動車の仙台乗り入れ運用が廃止 |
7月31日 | 【宮城交通】高速バス仙台−長野・松本線を運行開始 |
8月 1日 | 【資料館】「せんだい運行情報文書図録」を公開開始 |
8月29日 | 【三菱ふそう】エアロバスからフルモデルチェンジをしたエアロエースを発売 |
10月 1日 | 【ミヤコーバス】名取営業所が営業開始 |
【ミヤコーバス】高速仙台大衡線、開業 | |
10月18日 | 【資料館】「北二番丁迂回走行の記録 “そのとき、バスは”」を公開開始 |
年明け早々にあった大きな変化が、ミヤコーグループで郡部の輸送を担っていた各事業者が統合され、ミヤコーバスに改まったこと。「仙台都市圏は宮城交通、それ以外はミヤコーバス」というわかりやすい関係に改まりました。
そして、一息つく暇もなく仙台空港アクセス線が開業することにより、仙台市交通局の特急仙台空港線が廃止、東日本急行と愛子観光バスの2社が空港輸送事業に参入しました。
近距離の高速バスにも名鉄バスの中古車が次々と入り始めたのが、ちょうどこの頃です。亀の甲カラーの高速バスが、県外で珍しい存在となりつつありました。
最大の出来事は、新路線仙台空港アクセス線が開業したこと。そして、同時にE721系が仙台圏の鉄道輸送の新たな顔として営業運行を開始しました。
また、仙台市交通局でも開業以来変わらなかった運転扱いが大きく変わる、運行管理システムの更新がありました。事実上“駅間1閉塞”という信号扱いと運行形態に改まったのは、この年の出来事です。
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月日 | できごと |
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2月29日 | 【愛子観光】仙台空港乗り入れ路線の廃止 |
4月 1日 | 【仙台市交】岡田出張所の運行業務等を宮城交通に委託 |
4月 3日 | 【仙台市交】広告付きバス停留所上屋が供用開始 |
4月25日 | 【富山地方鉄道】高速富山〜仙台線を運行開始 |
8月 1日 | 【宮城交通】塩釜営業所の業務をミヤコーバスに移管 |
【東日本急行】仙台駅(東口)〜平泉線運行開始 | |
9月16日 | 【仙台市交】レイニーバスの運行開始 |
10月16日 | 【宮城交通】村田駐在の業務をミヤコーバスに移管 |
10月30日 | 【資料館】「杜の都の名鉄バスOBに魅せられて」を公開開始 |
12月31日 | 【帝産富士交通】事業廃止 |
仙台市交通局と宮城交通の間柄が、名実共にパートナーとなった印象があったのが、岡田出張所の運行管理業務の宮城交通への委託開始でした。また、長野線の開業によっていよいよ“なんでもあり”となってきた高速バスのラインナップに、この年には富山線が加わりました。
車輛に目を向けますと、遂に宮城交通の大型路線車から方向幕が姿を消したのが、この2008年の秋のことでした。仙台市交通局から遅れること、わずかに4年半。この頃から宮城交通の車輛の近代化も、ハイピッチで進んでいきます。
鉄道事業については大きな動きのない一年でした。しかし、東北の貨物輸送を支えていたED75の東北本線での運用が大幅に減ったのが、この年の3月15日のダイヤ改正でのこと。東北本線らしい光景の一つであった重連運用も、もはやほとんど見られなくなっていました。
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月日 | できごと |
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1月24日 | 【宮城交通】全国で初めて夜行高速バスにAEDを設置 |
3月18日 | 【東日本急行】仙台駅(西口)〜仙台空港線廃止 |
4月 1日 | 【仙台市交】七北田出張所の運行業務等をジェイアールバス東北に委託 |
4月24日 | 【宮城交通】高速仙台〜富山線の運行に参入、以降富山地方鉄道との共同運行へ |
8月 1日 | 【資料館】「宮城交通の車輛たち」を公開開始 |
10月 6日 | 【宮城交通】宮交仙台高速バスセンターが移設開業 |
11月 1日 | 【東北地方の高速バス事業者】東北高速バス共通フリーパス「東北おトクパス!」を発売(〜翌2/25) |
11月29日 | 【JR東日本】仙石線多賀城駅上り線が高架化 |
輸送規模の段階で鉄道に対する明らかな優劣関係がありましたが、細々と東日本急行一社が続けていた仙台空港と仙台市の都心を輸送するバス路線は、この年に終止符が打たれました。
また、東北六県の玄関口に相応しいターミナルとして、宮交仙台高速バスセンターが本格開業したのもこの年のことでした。他都市のようにビルの中にバスが入り込む構造を求める声も一部にありましたが、最終的にはバスベイとして2台が縦列駐車できるスペースをセットバックして得た構造となりました。
仙石線の多賀城駅の高架化が、一段落を迎えました。2007年の東北本線の高架化に続く事例で、仙台圏の鉄道交通の近代化が感じられる出来事でした。
また、その仙石線の高架化工事に伴い復活した103系も、南武線からの転入車によって置き換えられることとなり、30年に渡って仙石線の顔であり続けた103系が仙石線から姿を消しました。
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月日 | できごと |
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1月10日 | 【宮城交通】仙台〜長野・松本線、運行休止 |
2月20日 | 【仙台市交】地下鉄南北線全駅で可動式ホーム柵が供用開始 |
3月19日 | 【宮城交通】全営業所でグリーン経営認証を取得 |
3月29日 | 【ミヤコーバス】泉アウトレット古川線、運行休止 |
4月 1日 | 【仙台市交】「学都仙台 市バス(+地下鉄)フリーパス」本格実施 【仙台市交】新寺出張所を開所、同所の運行業務等を宮城交通に委託 【仙台市交】るーぷる仙台の運行経路に大崎八幡宮などを追加し拡大 |
6月14日 | 【資料館】Twitterアカウント(@pstmPR)を運用開始 |
10月 1日 | 【宮城交通】一部夜行高速バスで仙台弁による車内放送を開始 |
【ミヤコーバス】高速仙台川崎線開業 |
仙台市交通局が導入した破格の制度、「学都仙台 市バス(+地下鉄)フリーパス」が本格実施となりました。主に大学生と高校生に「公共交通機関に乗る習慣」を植え付けることを意識した制度ですが、その成果はこれから問われることになるでしょう。
ユニークな取り組みという点では、宮城交通が導入した仙台弁の車内放送も捨てがたい存在で、導入当初は話題になったものでした。
仙台市地下鉄南北線のすべての駅にホームドアが設置されたことは、大きなニュースです。地下という安全確認の困難な環境でワンマン運転を行う他社局では当たり前に導入していますが、それだけ転落事故が多いということについても、利用客一人一人が考えるべきものがあるのかもしれません。
導入当初は遅延の原因にもなっていましたが、今では欠かせない存在となりました。 | 既に仙台市交通局でも認証を得ていましたが(〜09年8月まで)、宮城交通もグリーン経営の認証を取得しました。 | 実に94年の岡田出張所以来の新設事業所です。まさか後にその岡田出張所を事実上吸収することが迫られるとは...。 |
「残るは川崎ぐらいか」と大衡線開業のときには言われていましたが、まさか本当に開業するとは...。 |
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月日 | できごと |
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1月 3日 | 【資料館】「方向幕ノスタルジア」を公開開始 |
3月11日 | 【その他】東日本大震災、発生 |
4月 1日 | 【仙台市交】白沢出張所の運行業務等をジェイアールバス東北に委託(継続) |
6月 1日 | 【仙台市交】東仙台営業所の運行業務等を宮城交通に委託、新寺出張所の直営化、事業所編成の再編 |
9月 1日 | 【宮城交通】仙台市交通局霞の目営業所構内に岡田受託出張所の仮設事業所を設置 |
11月 1日 | 【ミヤコーバス】高速仙台高清水線運行開始 |
3月に発生した東日本大震災は、多大な影響をもたらしました。仙台市交通局の岡田出張所は津波の襲来により機能喪失、同所の在籍車輛も1台が水没し廃車となりました。路線については沿岸部を目指す路線が壊滅的で、震災から2年が経った今も、閖上、深沼海岸、蒲生といった沿岸部を目指す系統が正常運行できていません。
宮城交通はその点において沿岸部の路線が少なかったことも幸いし、仙台市内では被害がありませんでした。しかしミヤコーバスの沿岸部の事業所の被災が著しく、それに伴う車輛や人員の動きが活発でした。
東日本大震災で宮城県内のJR線は多くの打撃を受け、沿岸部を走る仙石線は今もなお東西で分断されたまま、また常磐線もその路線名の由来となった常陸国には当面行くことのできない状況が続いています。また、東北新幹線の不通は大きな影響があり、福島と仙台を結ぶリレー快速列車が東北本線に設定されました。
仙台市地下鉄南北線も八乙女駅を中心とした被災があり、全列車が台原駅発着で運行されました。
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「私営 仙台陸上交通資料館」が追いかけてきたのは、「今」ではありません。あくまで「あのとき」です。 よって、最新の情報については常に他のウェブサイト様にお任せするスタンスで、写真など確かに事実を伝えることができるエビデンスが揃うまで、「あのとき」のことを発信することはありませんでした。 この頑固なまでに貫いていたスタンスが裏目に出たように感じたのが、このウェブコンテンツを作る作業中のことでした。「撮っていたはずだけどなぁ...」という写真を探すまでに小一時間、その写真が意味するところを確認するために資料を探すのにも小一時間、それの連続です。 また、人間の記憶力のあやふやさも、このウェブコンテンツを作る作業中に感じました。自信満々で書いた内容について、念のため確かめるべく別の資料を探してみると、「あれ?」と思うこと、あるいは新しい発見があって書いた文章を大幅に書き直したこと。こんなことが多々ありました。 冒頭でも書いたように、アクセス50万件と10周年が重なった今こそ、改めて仙台の陸上交通のこの10年を振り返ってみようじゃないかと作ってみたのがこのウェブコンテンツです。と同時に、このように「ふりかえり」のためにも、また次の10年後に同じようなウェブコンテンツを作る必要があるように感じています。 まだまだこのウェブコンテンツは途中で追記することがあるはずだと思っています。ですが、これをひとまずの一つの区切りにしたいと思います。 末筆ながら、さまざまな形でウェブサイトの構築やこのウェブコンテンツづくりにご協力を頂いた皆様に、感謝の意を表したいと存じます。ありがとうございました。 |